Nature and Life Taught by Wild Grasses

December 28, 2022
京都の花屋みたて

山野草が教えてくれる自然と生。花屋<みたて>の視点

京都を拠点にする花屋の<みたて>は、和の美学や多角的な趣向を用いて山野草(さんやそう)を“見立て”ることで、その魅力や価値を提案しています。野や山に咲く野草や、足もとで色づく山野草とは、土地で自生する珍しさや素朴さ、猛々しさをはらんだ美しい自然の命。日本の伝統に向き合いながら、新たな視座を与えてくれる店主、西山さんにお話を伺いました。

あまり聞き慣れない山野草(さんやそう)ですが、どういった特徴があるのでしょうか?
そうですね、栃木のこの辺りでは江戸後期くらいからずっと栽培されてきており、先祖代々神社にお納めしてきました。周辺の麻農家は皆さん8代、9代と続いていて、僕も記録にある限りでは僕は8代目なのですが、文献が焼けてしまったりしてはっきりとはわかっていないんです。オーストラリアやフランスなど海外から日本の麻に興味を持ってお客様がいらっしゃることも多く、こんなに昔からやっていたんだと驚かれる方も多いですよ。

 

山野草に特化したきっかけは?
無農薬の食材がスーパーなどでも増えてくるようになってきましたが、お花の世界はもともとそういう動きが少なかったんです。でもよく考えれば自然なものを扱う方が自然であって、100年前の花屋さんはおそらく今の花屋さんとは違っていたはずじゃないかと思っていました。現在は、西洋から輸入されたお花を西洋のように売るのが主流ですが、そこを昔の花屋さんのような形に戻したという感じかもしれないです。

 

西洋の花と違う分、現代の生活習慣では受け入れられ難い部分もあるのではないでしょうか。
生産という意味では、まだ需要が低いので値段はむしろ高いですし、日持ちもしない。大輪性もないし、たくさん咲く訳でもない。普通のお花に比べると一般的に考えられている価値が少ないといえるでしょう。健気でかわいいということが唯一プラスとしてあるんですけれど、それで商売、仕事にするっていうのは大変なんだと思います。

京都を拠点とする花屋みたて

日本の伝統や美学が現代的に表現された素敵なウェブサイトです。西山さんは日本文化とどのように出会い、繋がりを持たれたのでしょうか。
日本のお花を扱っていると植物そのものを勉強することにもなるし、どうしても日本の古いものと繋がりが出てくるんです。お祭りなどの郷土の行事ひとつをとっても、植物と共に生きてきたところがあります。ですから、必然的に歴史や学びを深めないといけないし、歴史とリンクさせることは自然なことなんです。平安時代につながる草花は多いんですけれど、弥生、縄文時代からストーリーが繋がれてきたものもあるかもしれない、といった感じですね。

 

特に好きな時代はありますか?
室町、平安時代。江戸よりは前が好きですかね。江戸時代というのは商売っ気が出てきているので、品種改良など今に繋がっていることが多いんです。それより前は、心からの考え方が形になっていることが多いので、そういう素直な感じが好きですかね。形作られてしまった後よりは、その前とか形作られる瞬間とかに立ち返りたいっていうのはあるかもしれないですね。

 

その心は商品にも現れている気がします。宝石箱のように可憐な草花が敷き詰められた“吹き寄せ”は、一般的なフローリストでは考えつかない発想だと思います。これは日本に元々あった仕立てなのでしょうか?
和菓子や料理などからヒントを見出したといいましょうか。お花(の世界)はそういうところで遅れていて、和菓子なんかはとっくにしていたと思うんです。やはり、西洋の文化が入ってきた時に、そういうところが置き去りになってしまったと感じていて。見た目だけの華やかさや、命の長さを優先してしまって、そこにお花に対する思想があまり無い時代が続いたのかなとは思います。

 

確かに、お花を贈るという行為から連想するのは、西洋的なブーケのようなもののみである反面、日本の文化圏で華道はしっかりと確立されています。完全に二極化した溝に対して働きかけたいという意識があったのでしょうか?
そうですね。自分はそもそも、お花屋さんが扱っている草花は、自然にあるものであるべきだと思っています。しかし、現在の一般的なお花屋さんが扱うほとんどは山にはない花です。であれば、何を花としていたのか。仮に形や色を大事にするのであれば、例えば折り紙でも良かったんじゃないか。生花の必要性が曖昧だし、なにより大事にされて来なかったから造花というものができ、同時にほぼ造花に近いようなものを生花に求めてしまったために現在のような形式になったのではないかと考えています。そもそも、仏さんにどういう気持ちで供えようという気持ちがしっかりあれば、造花にはきっとならないはずなんです。今や造花が技術的にも生花に似てきたので、造花で良いと考えるところすら増えている。

花屋みたての侘び寂びを感じる美しい作品

作家さんの鉢や土器にかわいらしく植えられた “寄せ植え”では時間の経過とともに、侘び寂びといった和の美学や価値観が、売り手と買い手の間に共有されていくのが素敵だなと思いました。tefutefuのメディアでは、日本の伝統から和の美学を現代の暮らしや考えに調和する物事を提案させて頂いているのですが、西山さんは現代との調和についてどんなことを思い浮かべますか?
自然に育ったススキやねこじゃらしの野原の美しさにはやっぱり勝てないと思うんですよね。でもねこじゃらし一本は、置く器、入れる器、置く場所や光の入り方、包み方など、人が入ることで少し違う景色を見せてあげることはできる。一般的な花としての魅力が少ないものを自分の手でどう掬い取り、美しくしてあげられるのかはこちらの技量ですから、すごく大事には捉えています。

 

「かっこいいものを置いたかっこいい空間」の美意識は表層的です。しかし、ものの成り立ちを捉えた上で自分の空間や暮らしに当てはめると、つながりへ想像を凝らし、歴史や存在、自然の偉大さの再認識へとつながる。みたてのお花は必然的にその装置になっているのかもしれません。
極力、形や見た目からスタートしないっていうことを大事にしているんです。言い出すと好みでしかなくなってしまいますからね。でもそこにちゃんと意味があれば、好きでない人でも違う感情がそこに生まれるし、新しい発見が生まれると思っています。それは、同じものを美しいと思った昔の人の時の気持ちに立ち返って素直になるというところだと思うんです。歴史とか伝統になる前のことを意識する時には、多分形からは入ってないのではないかと。

京都の花屋みたて

青木隼人さんと「草花の音楽」という音楽もリリースされています。これに至るまでの経緯はどんなものだったんですか?
そもそもは知り合いだったってこともあるんですが、お店の音楽を作ってもらおうと、月1ペースに店内で録音してもらっていたんです。即興で弾いて頂いて、その10日後とか一週間後にはもう音源になっていて、次の月にかけるということを12回繰り返しました。それを、青木さんの方からまとめようかという話になりリリースに至りました。

 

即興とのことですが、全てを青木さんの感性に委ねていたのですか?
そうですね。早朝5時、6時くらいの車とかの音がしない時間の2時間。お花はその前に生けておいて、その空間をぐるりと見て頂き、その空気感で音を鳴らして頂きました。少なからずそういう音にも季節が入っていると良いなと思って。

 

季節の音を聞き分けることができましたか?
僕自身は鈍感であんまり分からないんですけど。冬はやっぱり張り詰めた音がしてるって青木さんが仰っていました。一気に録るのと、12回に分けのとではやっぱり違う音なんだろうなとは思いますね。

京都の花屋mitateと青木隼人さんが制作したオリジナルミュージック「草花の音楽」

みたての独特な空間を音楽とともにCDに封じ込めて届ける、というアイデアが画期的です。
植物を見てもらうための纏わりついているものの一つに音楽があると思っているのでとても大事にしています。焚いていたお香の匂いとか色んなことが一つのお花に影響するのかな、とは思います。

 

音楽を奏でたりしている時にお香も焚いていたんですか?
そうです。毎日お客さんへも焚いていますよ。変な話マジックというか魔法みたいなものにかけないと、ねこじゃらしと言えばやっぱりねこじゃらしですからね。こちらがなんとかしてねこじゃらしで喜んでもらわないといけないのでね(笑)。

 

 

 

正月飾りで、見ず知らずの誰かとのつながりを想う

花屋mitateの現代的な正月飾り

お正月飾りもすごく素敵なデザインのものが多いですが、コンセプトはあるのでしょうか?
正月飾りに関しては、どこかで誰かが、あるいはいつの時代かに作っていたとか作りたいと思ったことがあるだろう、というようなものを形にしたいなと思っています。過去か未来かもしれないし、遠くの東北の方ではこういうことを思っている人がいるかもしれない。分からないけど誰かいて欲しいな、という気持ちでやっていて、人が作ってないものを作ろうっていうのは基本ないんです。もちろんそれがあったことを発見していたらもう作らないですけれどね。

 

“鶴”は、五穀豊穣を願うものですが、撮影用に実際に手に取ると稲穂がとても潤沢で驚きました。制作のこだわりを聞かせていただけますか?
お米は京都の山田ファームさんと契約していて、自分たちで収穫させてもらいました。鶴の翼は円形の和紙を半分に折ったような形で、二重にした内側は墨を塗り、上は胡粉という日本画に使う材料で張り合わせています。芯はわらを束ねた上に和紙のちぎり貼りをしてから胡粉を塗って締めています。赤い頭頂の部分はべに花から煮出した染料で、江戸時代から続く京都の「染司よしおか」という染屋さんで紅皿を譲っていただいています。全て自然の素材のみを使っているのですが、芯を触ったときの質感や色彩も伝統的な日本の素材を生かしています。

 

京都の伝統である正月飾りの“ほしつき”や“根曳き松”も特徴的です。京都の伝統色を打ち出すことは意識的に行っているんですか?
もちろんそうです。根曳き松に至ってはもう完成されているというか、多分それが本当にスタートなのだと思うからそれ以上はないと思うんですよね。何かそこに違うものを求めた結果、門松のように変化したので、飾り具としてこれ以上加える必要はないと思っています。どこまでできるかは分からないですけど、変えないことの強さを体感したい、それがいつかは伝統となれば良いなと思っているんです。

京都の花屋みたてのモダンでおしゃれな正月飾り

山野草を“見立てる”面白さとはどういうところでしょうか?
例えば利休さんていう人がお茶室に生けたとして、その当時生けられた一輪が持つ意味は相当大きかったと思うんですよね。生けた花によっては、もしかしたら切腹を申し付けられていたかもしれない。現在、それが風習として残っているわけではないですが、一輪のお花にそれほどの力があったということが考えられる。一輪の美しさや力を想うほど命や植物として大事に考えないといけないと感じるし、もっと知りたいと思うんです。以前、洋花を扱っていた時には、植物として見れていたかすら怪しいというのが本当のところ。お花を「飾り」という言い方で扱い、商材として伝票で処理するものとしか捉えていなかったんです。今僕たちの山野草は、山からまとめて届いたりするので1本に対しては伝票も値段もないんです。値段のないものに対して価値をつけてあげられるのも自分なんです。

 

みたて
WEB:  https://www.hanaya-mitate.com/
Instagram:  @mitate_hanaya
https://www.instagram.com/mitate_hanaya/

 

正月飾りとは?
元旦に訪れる年神様をお迎えするために「松の内」期間に飾る飾り。一般的に12月13日を過ぎた年の瀬、29日(二重の苦)と31日(一夜飾り)は避け、8(末広がり)のつく日に飾ると良いとされています。松の内は関東では1月7日まで、関西では1月15日までが一般的。飾りをはずしたら「どんど焼き」などお焚き上げで処分をすることが多いですが、地域によって違った風習があります。



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