The Shining Star of Kimono Industry
March 30, 2023

着物の未来を明るく照らす銀座もとじ店主・泉二啓太さんの灯火
着物は装いでありながら芸術品のような威厳と美を宿す和のオートクチュール。この日本が紡いできた素晴らしい文化に正当な価値を維持させるために、そして未来に向けて作り手が健康的であるために、各地で様々な形で尽力している方々が多くいらっしゃいます。<銀座もとじ>さんは、革新的なアイデアで着物界を牽引している呉服店のひとつ。人間国宝・海外で活躍するアーティスト・教育機関と様々なボーダーを超えてつないでいく店主の泉二さんの現代的なセンスと伝統文化の化学変化によって新しい扉がどんどん開かれていきます。様々な取り組みに込められた想いをお聞きしました。

銀座もとじさんが商品化をプロデュースする純国産シルク生地<プラチナボーイ>は、特別な取り組みでできたものだとか。詳しくお聞かせいただけますか。
シルクは蚕が作り出した繭からできていることはご存知かと思いますが、雄の蚕が吐き出すシルクには細く長く光沢があるという性質があります。これは子供を身篭らないため体内のタンパク質を全て吐き出す事ができるからなのですが、そのシルクからできた白生地の白さと光沢は段違いで、さらに糸が切れにくく毛羽立ちが少ないため品質が高いのです。その利点に目をつけて高品質の国産シルクの生産に向けて卵から雄だけを生み出す技術開発が国家プロジェクトとして発足しました。37年の研究の末ついに大日本蚕糸会・蚕業技術研究所の大沼昭夫博士が開発したシルクは<プラチナボーイ>と名付けられ、そのシルクを使った商品を当店がプロデューサーとして生産・商品化しているという仕組みです。2007年に成功して以来、蚕研究者はもちろん養蚕農家・製糸業者・製織業者と契約を結び、共に寄り添い続けることで産業自体の支援をしています。
雄だけを生み出す技術があるとは初耳です。新品種のでも他と変わりなく育てることができるのでしょうか?
スタート当初は農家の皆さんがかなり苦労されていました。他品種に比べて繊細な温度調整が必要なことと、 蚕が“まぶし”(格子状の繭部屋)に入り糸を吐くタイミングが1~2日違っていることで餌や準備のリズムが全く違っていたんだそうです。蚕の生活リズムは品質に大きく関わります。ワインづくりを想像していただけるとわかりやすいかもしれませんが、養蚕は葡萄と同じように気候など自然環境に大きく左右されるので、農家さんは変化に合わせて常に微調整が必要で、納得の行く品質になるまでかなり試行錯誤されていたようです。
契約農家や作り手さんのサポートをされているとのことですが、具体的にどのような取り組みをされていますか?
さまざまな取り組みがありますが、店舗では反物が出来上がると関わった作り手の方のお名前を記した証紙を添えてお納めしています。通常、染めや織りの作家以外のお名前が表に出ることは珍しく、また自分が育てた蚕の繭から織り上がった反物を初めてご覧になった養蚕農家さんは涙を流すほど喜んでくださいました。インターネットなどで、おじいさんの名前を検索すると出てくることにお孫さん達が誇りを持ち、憧れて後継者を目指すようになったという話もあります。

トレーサビリティが後継者問題も解決する、素晴らしいですね。しかし現在、シルクの国内自給率はとても低くなってしまったとか。
近代化によって職人技術や農家に至るまで着物文化を支える環境が変わり、養蚕業全盛期の昭和4年には約221万戸あった養蚕農家が、平成元年には5万戸へ、近年には180戸にまで減ってしまいました。現在、シルクの国内自給率は1%未満、農家さんの7割近くは70〜80代のご高齢となっています。現在の国内の生産環境では国外で生産されたものほど価格を下げることはできませんが、品質の高さを強みにすることはできますから、国産のシルク産業を盛り上げるためにもプラチナボーイの役割は大きいと考えています。
私達tefutefuは、日本が誇る産業や文化のすばらしさを現代の人々に再確認してもらえるような試みに取り組んでいるのですが、日本伝統を未来につなげるために何が足りなんだろうと考えてしまうことがあるんです。
良質なものやそれにまつわる様式や背景といった文化の存在が充分に知られていないんですよね。伝えていくことも使命ですし出口を作るところまでを責任を持ってやらないといけないとは思っています。
出口を作るというのはどういうことですか?
以前、山形県の白鷹にある<天蚕の会>の方から突然連絡があったんです。星さんは安曇野の天蚕をご覧になっているのでおわかりかと思いますが、天蚕の繭は大きくて高価ですが糸が採れる量が非常に少ないため産業は衰退しています。天蚕の会ではその文化を絶やすまいと卵から蚕を育てて紡いで織るまで2−3年かけて一反の生地を作っていました。でももうこれ以上はやっていけないから、繭を買い取ってもらえないかとご相談を頂きました。私達はその繭を購入して、一反の反物に織り上げ、着物として販売しました。
その後、お買い求めいただいたお客様を白鷹の生産現場にお連れし、現地でご覧になったお客様はその希少性と生産者の熱意や誇りに触れて感銘を受けられました。さらに作り手の皆様にはその後に銀座の店舗でトークショーをして、天蚕や一本の糸から繋がるものづくりリレーについてお話しいただきました。細く消えかけた天蚕産業ですが、作り手とお客様が直接交わることで新たな可能性と価値を見出すことができ文化継承への責任感が芽生えることを実感しました。私達は自分で手を動かせるわけではないですから、大切にしていきたい人たちの思いをきちんと伝え、つなげる役割があるなと思っています。

お客様はどういった層の方が多いんでしょうか?
40〜60代が多いですが、昨今の和の見直しの影響で若い方からの訴求も増えていると感じています。やはり若い層はスマホの影響なのか色んな国の文化もフラットに見ていて日本について学びたいという方が多いんです。僕には2つ目標があるんです。1つは「着物をワードローブの一選択肢にすること」、2つ目は「着物に携わることを憧れの職業にすること」。そのためには着物文化の啓蒙活動にも力を入れて行きたいと考えていて、店舗では20〜30代の着物を着たことのない方々向けに30名程度のワークショップを不定期で行っています。ユネスコの無形文化遺産である結城紬について若い職人達から養蚕の過去・現代・未来についてお話していただいているのですが、後日参加した学生から「実家に結城紬があったので、これを着るきっかけにしたい」と連絡を頂いたときはとても嬉しかったですね。

結城紬が持つ独特のテクスチャは織り方によるものですか?
染めの着物の「友禅」は、まだ蚕が中にいるうちに繭を煮て機械で紡いで織るため表面がきれいな生地になり、その上に絵を描きます。織りの着物の「紬」は蚕が食い破って出てきた繭を農家の人々が自分たちで紡いで織物にしたものなのでどれだけ高価なものであってもカジュアルな着物です。糸つむぎは、今でも変わらずお湯でふやかした真綿を人が手作業で1本1本つまみ取り、撚って糸にしています。江戸や明治時代に機械化が進んでも尚、経糸も緯糸も手紡ぎの糸を使って織られているのは本場結城紬のみです。
機械で撚られたものとの使用感にはどんな差があるのでしょうか?
手紡ぎの糸は糸に遊びがあるので、着れば着るほど“経年美化”していくんですよ。最初はゴワゴワした感触ですが使えば使うほど柔らかくなり、身体に寄り添うようになります。そして不思議なことに使うほどにシルクの光沢がどんどん出てくるんです。機械では決して出せない質感や光沢感ですね、手紡ぎだけにある特別な価値だと言えます。
手作業という工程や技工もそうですが、時間の流れが通常の生産背景とは全く違いますね。
職人が一つひとつ手作業で作り上げるには多くの時間を有しますが、それに対する対価が見合わない場合が多くあります。そのため、今後は、賃金も上がらざるを得ないと考えていますが、その場合、市場価格に跳ね返るため、アウトプットもそれに見合う価値を付けないとお客様が納得できません。この問題は根深いのですが、価値観を広げるためにロングプランで様々な方向からアプローチしていく必要があるんですよね。
具体的にはどのような取り組みをされていますか?
一例ですが、銀座の泰明小学校で25年間に渡り、銀座の柳をつかった柳染めの授業を行っています。銀座の歴史や柳の命をいただき、ものづくりの楽しさを教え、さらに父の故郷の奄美大島から大島紬の泥染めに使う泥を空輸していただき、ズームで奄美の父の母校・大勝小学校とつないで交流授業を行っています。染めの授業では、それぞれ、自分用と大切な人に送るために2枚のハンカチに自由に染めて、さらに大きな反物に学年全員で思いのままに描いてもらうんです。小さい頃から楽しんで着物の背景に触れてもらい、その土地々々に根付いた文化の存在に気づいてもらうことを目的としています。
良質なものづくりを仕組みから支え社会全体で3世代継承をしていきたい

今日泉二さんが着用されているのはどちらのものですか?
これは、民藝運動で有名な柳宗悦が一番愛した織物と言われる丹波布です。丹波布は実は明治に一度途絶えてしまったのですが、昭和初期に柳が京都の朝市で端切れをみつけて、兵庫県の丹波の織物だと突き止め戦後に復興させたというものです。実は柳宗悦さんの甥にあたる、柳悦博さんを祖父に、崇さんを父に持つ織家の柳晋哉さんと奄美大島の金井工芸さんと染織の可能性を広げる商品を開発しました。東京では4月14日~16日にイベントを予定しています。

柳宗悦のように消えかけたものも掘り起こして価値を紡いでいくことの重要性を今とても強く感じています。tefutefuもサステナブルや循環に立ち返るようなウェルビーングのあり方を提案していきたいです。
いいものには価値があるという価値観を育てていきたいですよね。その価値を未来に繋げていくために、自分たちが販売したものを買い取るという事業をついに8月から始めるんです。着物はもともと3世代の継承と言われているのですが、核家族化やコロナの影響で着物から離れる方も多く家族間で受け継がれることは少なくなっています。そこで、銀座もとじがハブとなり、社会全体で着物を受け継ぐ必要性を強く感じています。
今日着用させて頂いたお着物は人間国宝の方が手掛けられたんですよね。
巧緻な模様を織り成す紗の世界を表現する人間国宝の土屋順紀さんによるものです。夏の着物ですが品の良い透け感と淡いグラデーションが見事ですよね。近寄ってみていただくと縦と横の織りが立体的になっているんですよ。このような高い技工を極められた方のものはアートのようにきちんと三世代継承されていくべきなんですよね。だから僕たちは自分たちが販売したものをできる限り価値を落とさずに次の世代に継承できる仕組みを作りたいと考えています。

22年の11月には染織を超えたアートのようなエキシビションをされていましたね。
伝統を新たな視点から見つめ直し、未知の化学反応を起こすことで、染織の可能性を啓く、「HIRAKI project」をスタートしました。第一弾は「冬―FUYU」と題し、草木染作家の山崎広樹さんと宮城県南部にある採石場の大蔵山スタジオとの取り組みです。
大蔵山スタジオはイサム・ノグチも好んでいた独特の風合いを持つ伊達冠石(だてかんむりいし)を採掘して家具やアートなどを制作しているスタジオです。5代目の山田能資(たかすけ)さんは山全体を制作の場と捉えて様々なところへ作品を配すことで土地にまつわる文化を呼び起こす活動も行っています。お互いにロンドンでの留学経験もあり意気投合して2年前にプロジェクトを企画しました。その大蔵山に、「草木染」を命名した、山崎斌(あきら)さんを曽祖父に持つ、山崎広樹さんをお招きして、大蔵寂土(さびつち)や大蔵山に自生する植物を染料に、きものや帯、大判の布を染め上げ、石と共にインスタレーションし、舞踊も含めて紹介しました。代々、手作業による自然の色と向き合ってきた染色家達にとって岩大地は原点。2000万年の歴史の中で2度も海に沈んだことのある大蔵山が持つ悠久の時が作り出した大地と、「大地に還る草木染」を研究する山崎さんとの出会いが、未知なる化学反応を起こし、新たな染織の可能性を広げました。こういった活動が若い世代に伝統工芸や着物文化をつなぐきっかけとなるといいなと思っています。

伝統工芸は「伝統」を守るために逆に身動きが取れなくなっているということもあるのでしょうか。
そうですね。例えば奄美大島を産地とする「大島紬」は、明治40年頃には締機(しめばた)という技法を取り入れており、当時はとても柔軟で、その年がターニングポイントとなって技術が大きく発展しました。新しく取り入れたものも時間が経つとスタンダートになり、やがてそれが伝統となっていきます。その中で少しずつ固定概念が固まっていくので、常に新たな化学反応が必要だと感じます。ですから、HIRAKI projectの第2弾として、大島でも職人向けに新しい染めを提案しようと動いています。奄美大島の泥染めは、あらかじめ草木染めした車輪梅(しゃりんばい)のタンニン色素と奄美大島の泥に含まれる鉄分が化学反応し、100回染め重ねることで美しい“奄美ブラック”が生まれます。この泥染めの可能性を探るため、車輪梅以外の4種類の草木染料で下染めし、奄美の泥を組み合わせて染めてみました。それが先述した、金井工芸さんと柳晋哉さんと共に開発した新たな反物です。そうすることで、締機の技法を取り入れた伝統的な柄も全く違う表情になる。私達から職人達への提案をきっかけに新しい潮流をもたらすことが出来たらと考えています。
着物って知らない人にとっては少し構えてしまうところもあると思います。でも、泉二さんのような方がフランクに若い世代に寄り添って様々な立場の方が参加できる環境を作ってくださることはありがたいです。
僕たちが伝えていかないといけないのは、50年後を担う人たちですからね。これから産地をつないでいく上でもっと密になって一緒に考える存在になりたいですし、前向きな産地とともにものを作っていきたいと思っています。それには、パッションや好みだけではなく、戦略的に考えながら拡げていく必要があります。使う人の気持に寄り添いながら、着物の素晴らしさを多くの人に届けていきたいです。
銀座もとじ
WEB: https://www.motoji.co.jp/
Instagram:@ginza_motoji
Photography Teddy Wilkins, Eri Kawamura
Interview Hikari Mori
Coordination & Text Yuka Sone Sato
Design Mammy Horie
#kimono #tradition #tokyo